3月の伝統行事★ 今日はひなまつり♬
—親兄弟の建物と思い塗らせていただきます—
★これが私たちの想いです★
親孝行し隊 サポートセンター 原 里恵です
本日は、ひな祭りですね♪
少しずつ、春に近づき、
暖かくなる日が、待ち遠しいです(*^_^*)
本日は、3月の伝統行事についてお話いたします。
<3月の日本の年中行事 季節と風習>
3月は弥生(やよい)と言い、雛祭り(ひなまつり)がある、桃の節句の月です。
他の呼び方は、花月(かげつ)・嘉月(かげつ)・花見月(はなみづき)・
夢見月(ゆめみつき)・桜月(さくらづき)・暮春(ぼしゅん)等の別名があります。
雛祭りの始まりは、
3月3日に雛人形を飾って、”雛祭り”が始まったのは江戸時代に入ってからです。
この風習の由来は、3月上巳の節句といい、
3月上旬*巳の日(みのひ)に野や浜で遊ぶという風習がありました。
現在の3月はまだ寒いですが、旧暦3月の話なので、
新暦つまり現在に表すと4月中旬のはなしになります。
4月なら、潮干狩りが出来るくらい暖かい日がありますから、
なんで雛祭りに貝が出てくるのか、ということが理解できます。
※巳の日とは
12日ごとに巡ってくる、十二支の1日のことです。
巳の日に弁財天の使いの白蛇 = 巳(へびの事)に願い事をすれば、
蛇がその願いを弁財天に届けてくれるといわれているので、
お金や・財に関わるのに縁起の良い日といわれています。
※弁財天(べんざいてん)とは
仏教の守護神の一つであり、七福神の一人でもあります。
ヒンズー教の女神であるサラスヴァティーから由来しています。
日本の神仏習合によって神道に加わり、弁才天という元の名前から弁財天になりました。
”才”という発音が”財”に通じていることから、呼称が変わったとされています。
つまり、才能や財にまつわる神様ということです。
弁財天(べんざいてん)
雛祭りの元の流し雛(ながしびな)とは、
雛流しともいいますが、草や紙で作った祓い人形を、
自分の穢れを移して川や海に流して、自分の身を清めるという風習のことです。
現在もこの風習を行っている地方が残っています。
この時の人形が草や紙から変化して、白い布で作った幼児の人形になり、
男女一対の立ち雛に変わり、徐々に衣装を着せられるよになり、
そして、宮廷で着ているような綺麗な服を着た雛人形になりました。
現在伝わっている座った雛人形は、
徳川家康の孫で、天皇家へ嫁いだ東福門和子が自分の子供の為に作った、
というのが始まりで、段飾りは江戸時代終盤になってからです。
この、巳の節句は奇数が重なる3月3日に固定されるようになり、
この節句の年中行事を”雛祭り”と呼んで、女の子の成長を祝う日になりました。
春分の日
3月20日~21日に、昼と夜の時間が同じになります。
天文学上、昼と夜の時間が同じになる日を固定することはできないので、
いずれかの日と言っています。
祝日に指定されるようになったのは、
1948年に”制定された自然をたたえ、生物をいつくしむ”という日でした。
その後、昼と夜の時間が等しくなる春分日に変わりました。
春の彼岸
春の節分の一つで、仏教に関わる行事に結びつくと考えられています。
また、春分と秋分は太陽が、真東から上り、真西に沈む日なので、
西に沈む太陽の遥か先にある極楽浄土への礼拝することが始まりです。
現在は、仏壇や仏具、お墓の掃除、お供え物をするなど仏事の一つで、
春分と秋分の日の前後3日づつを挟んで、7日間を指します。
春は牡丹の花から”牡丹餅”、秋は萩の花から”おはぎ”といいます。